「灯台下暗し」という慣用句の世間一般の発音が、昔から気になっている。なぜ皆「もと」にアクセントを置くのだろうか?まるで「東大モトクロス」のようだ。関東のイントネーションによるそれは「大正デモクラシー」をも連想させる。
中1の頃、一般的な発音を知らずに、「灯台下」(関西弁で、尻上がり)「暗し」(同じく「ら」にアクセント)と級友に言ったら、なんやその変な言い方、と笑われてしまい、「灯台」(尻上がり)「下暗し」(「もと」にアクセント)やろ、と訂正された。その訂正された読み方を聞いた時に違和感を覚えてから20年以上、TVでもその違和感のある読み方しか耳にせず、ずっと疑問に思っている。
「ほの暗い」のように「下暗し(もとくらし)」という形容詞がある訳では無く、「下」は灯台(燭台)の真下のことを指し「灯台」にかかるのだから、「下」と「暗し」の間は切れるはずだ。従って「灯台」「下暗し」と切れて聞こえる読み方をするのは間違ってると思うのだが、どうなのだろうか。
yukineco
「ほの暗い」のように「下暗し(もとくらし)」という形容詞がある訳では無く…
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私もずっと違和感感じてたんですよ~っ!
友人曰く、「灯台下暗し」があの発音なのは大正デモクラシーの影響に間違いないそうです。
何を根拠に!?と思いつつ、確かに大正デモクラシーの発音は揺るぎがないし、
日本人は義務教育でほぼ確実に習っているのであながち嘘とは言い切れないかも?
ynomura
ほほうそんな民主主義的な発音の混用または抑揚のユニフィケーションが原因または理由でございましたか。
関西では灯台モトクラシーと大正デモクラシーでは自然に発音するとイントネーションのパターンにそれなりの隔たりがあるためまさかそんな統合一体化リファクタリングはあったはずがないと思って居りましたが、やはり我々関西人も関東人による無機質な日本語の簡素化、日本文化の否定、外国文化への移行の弊害を被っているとは知りませんでした。
「モトクラシー」が国語辞典に載る日は遠くないでしょうか。