将棋界の方言

NHKの将棋番組の解説を聞いたり、将棋道場で話しているのを聞いてると、将棋の専門用語とは異なる、変わった言い回しがあることに気づく。特に、若い棋士、若くて強い人がよく使っているものだ。そういう、将棋界の方言に気づき次第、ここにメモしていこうと思う。
ここでは、「必死」「必至」のような表記の違い、「詰めろ」「詰めよ」のような年代的な差、「槍」(香車のこと)「ひょこ」(歩のこと)のような本当に地方による方言は扱わない。

◆端(はじ)
将棋盤の左右の端の筋、すなわち1筋9筋のことを、一般に端と言う。
雀刺しで有名な「端攻め」は、プロアマ問わず「はしぜめ」と読む。では、単に「端」と書いたら、何と読むか。「はし」?もちろん正解である。
しかし、通は「はじ」と読むのである。
用例:「はじを詰める」「はじを一本突いておく」

◆どうするんだろう
検討の場で、自分が指す手について、「どうするんだろう」「こうするのかな」というのをよく耳にする。
第三者的な言い方に聞こえるが、自分が指す手についての発言である。
「こういう時はどうするものなんだろう」「どうするのがいいんだろう」という意味である。
もちろん、他人が指す手についても、同じ表現を用いる。聞いてると、混乱することがある。

◆~されている、~されておく
「角を成られているくらいで」「歩を突かれておくんでしょうか」などと言う人がいる。
普通に「角を成られるくらいで」「歩を突かせるんでしょうか」などとは決して言わない。
~される系の表現のバリエーションは実に多岐に渡る。だんだん耳が慣れてきた私でも、気色悪さを感じる表現がしばしば発明されている。
意味はわからなくは無いが、「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」「こちらコーヒーになります」「こちらのほう、お会計のほう、…」と同程度の違和感がある。

◆入る
これは方言というより専門家の利便のための用語という感じだが、通常の用語説明には出てこないことは確かである。
「歩突きを一本入れておく」「桂打ちを入れておく」という、一連の手順に別の細かい手を挿入する時の表現の「入れる」に対応する言葉であるが、その別の手が本当にその手順に入れることが可能であることを、「入る」と言う。すなわち、その「入れ」たい手が本当に「入る」かどうかということである。
「入らない」とは広くは一連の手順が成り立たなくなることを意味するが、その手を入れることによって、相手に別の手を割り込まれる時(「手抜き」される時)に、「入らない」と言うことが多い。従って、大抵の場合、「入る」とは手抜きされないという意味である。
用例:「ここで歩突きは入るかな」「桂打ちは入るよね」
ややこしいのが、局後の検討で、実際に指されて手抜きされなかった手について「この手は入ったんですよね」と言う場合である。実際に手抜きされなくても、「入った」のは確定していないのである。もし手抜きされたら咎めることができたか、もし手抜きしたらひどいことになったか、を問うているのである。

◆Z、ゼ
主にプロが使う用語だと思うが、相手に何枚駒を渡しても自分が絶対に即詰みにならないことを、「Z」(ゼット)または「ゼ」と言う。
短い言葉なので、私のような素人は「これはゼだから・・・」などと聞かされると、ついていけないことがある。仮に「ゼ」という単語が聞き取れたとしても、そもそもZであるかどうかを認識すること自体、素人には難しいのである。
Zの発展形として、駒+Zというのがある。「角銀Z」は角か銀さえ渡さなければ詰まない、「飛車金Z」は飛車か金さえ渡さなければ詰まない、という意味である。「桂Z」という状態も結構ありそうであるが、今の所耳にしたことは無い。