Is Akiba Burning?

久々に秋葉原に行ってきた。

前に行ったのは記憶に無いくらい前だが、随分様変わりしたと思った。
・駅の北西の出口(電気屋街口を右に出る方)がすごく綺麗になった
・駅の北東に巨大なヨドバシができてた(大阪駅の北出口にも作ったし、豪快なことするなあ)
・バンドやコスプレがいっぱいうろついてる
・ソフマップの勢力が縮小してる
・募金活動する怪しい団体が居ない
・吉野家ができてる

この「オタク」の聖地に出向いたことにより、個人的に1つ大きな収穫があった。
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「アキバはモエているか?」の英訳が、"Is Akiba Burning?"なのだ。
私の理解が間違っていなければ、この地においては、「モエ」とは知る人ぞ知る新語「萌え」のことであろう。
これまで、「萌え」の意味がよくわからなかったが、今日ついにその意味を理解した。
そう言えば昔、その道を極めると、「燃えるゴミ」は「萌えるゴミ」と表記するようになる、という話を聞いたことがある(オセロの松嶋も言ってた)が、実に辻褄が合う。

あまりの衝撃に、本来の目的を忘れ、衣料品とおもちゃ1つを買っただけで帰ってしまった。


大阪の日本橋の電気屋街にはよく行っていたが、関東人になってからも秋葉原にはほとんど行っていない。2年前に一度行ったが、夕方にバイクで目的の店に直行直帰したので、駅も中央通りも見なかった。その前はとなると、はっきりと覚えていないが、怪しい募金に怪しいと思わず応じてしまった時に書いてしまった住所が阪神大震災で潰れた大阪(豊中)のアパートの住所だったことを人生の汚点の1つとして覚えているので、10年以上前ということになる。
日本橋にはソフマップが6つだったのに秋葉原には確か17あったこと、日本橋は電気屋が堺筋沿いに一直線に並んでいたのに、秋葉原は一面に埋めつくされていて圧倒されたこと、関西トップ2のジョーシンとニノミヤが1つも無いことを初めて知ったことくらいしか覚えていない。

当時は日本橋も秋葉原も家電7割、パソコン2割、工具や電子部品1割くらいだったと思うが、今日もそんなイメージが頭の片隅にあったが、噂に聞く以上の変わり様だと思った。アニメ関係?(特に美少女系)が何と多いことか。専門店はそれほど多くないようだが、秋葉原を歩いていて目に入る印象の3~4割を占めてるのではなかろうか。まるで街全体がウィルスに冒されたかのようだ。

10年前には、こういういわゆる萌え系ってのは電気屋街には無かったと思う。なぜかパソコン好きには美少女アニメ好きが多いことがわかり始めた頃だったと思うが、電気屋街にあったのはエロビデオ、エロゲ(ゲームソフト)くらいだった。そこからなぜこんな、セクシーでもキュートでも無い異様な画風の美?少女を根幹とする、人間に本来備わってないように思える捻じ曲がった感性を刺激するものが、市民権を得て、電気屋街を覆い尽くすようになったのだろうか?
10年前に現在の萌え系の何かが電気屋街に突如出現したら、電気屋街の常連は「萌え」ただろうか?私はNoだと思う。30年前に突如出現したら、どうだっただろうか?もっとNoだと思う。そもそも、30年前に今の萌え系にはまるような人が日本に存在しただろうか?もし居ても市民権を得ただろうか?江戸時代ならどうだっただろうか?私は全てNoだと思う。進化論ではないが、なんとなく、電気屋街の常連の感性、日本人の感性が、何らかの方向性を持って少しずつ確実に捻じ曲げられているような気がする。

私もずっと電気屋街に行ってたらこういうのに萌えられたのかな、と思うと、要領悪く時代に取り残されて人生を楽しむ機会を失ってしまったようで、残念ではある。
仕方ないので、私にとっては「萌え」は"burning"でいい。電気屋街の住人が「萌え~」と楽しんでるのを羨ましがることなく、昔からある物で「萌え~」としてやる。彼らが性的にだけでなく「萌え~」ていると言うなら、私は熱い将棋を指して「萌え~」るし、高速を飛ばして「萌え~」てやる。

それにしても、電気屋街は興奮とはほぼ無縁の街だったのに、"burning"を目指す街になってしまったんだなあ。