某所で詰め将棋のルールを勘違いして出題している人が居た。
いわく、「最短手順でも持ち駒が余るように詰める手順は不正解」だそうだ。
彼が出した問題は11手で駒余りで詰む(玉方がどう応じても11手で詰む順がある)のだが、彼は17手で駒が余らない手順を正解としている。
それはおかしい、と指摘したら、「詰め将棋のルールを理解してますか?」と来たもんだ。
彼は「玉方は同手数で詰むなら攻め方の駒が余らないように逃げなければならない」を誤解してるんだろうか。(余談だが、ここによると、この「同手数」は「同手数または2手早く」が正しいらしい。本当だろうか。なぜだろう。)
もし、最短手順でなくても持ち駒が余らない手が正解ということなら、この1手で詰む詰め将棋の手数は73手詰になってしまう。
攻め方:14銀、24香
受け方:12玉
持ち駒:香、歩18
どう考えても、「攻め方は最短手順で詰めなければいけない」は大前提だ。
最後に持駒が余る有名な詰将棋(小原大介「飛角作物」、「象戯綱目」より、下記)も存在するが、その問題には駒を余らせない変化長手順もあるが、正解手順は駒余りの最短手順とされている。
攻め方:52角、63角
受け方:61飛、72飛、62玉
持ち駒:金
一応調べてみたら、なんか詰将棋のルールってのは色々なことを言っている人がいるようだ。
確かに、「最短でなくても正解となる」を主張している人もいる。玉方がどう逃げても詰む手順なら、どれでも正解というわけだ。
参考:http://toybox.tea-nifty.com/memo/2004/08/post_20.html
最近になって議論が沸騰しているということか。
しかし、上記のWebページを読んでも、『「攻方最短」は誤解』という主張には納得できる根拠が無く、無理筋のようである。(『「最短手順で玉を詰まさなければならず」とあるのは誤りとも言えそうな微妙な表現です。その理由はリンク先をご覧下さい。』とあるが、引用元も含めどこを探しても理由が見つけられないのはなぜだろうか)
上記のページや、このページなどに、『(詰め手順の最後に)3手以上の詰め手順があっても、1手で詰むものは1手詰を正解とするのが「攻方最短」の意味だ』というのがある。3手詰手順と5手詰がある場合は3手詰が正解とは限らないという訳だ。なぜ「最短」は1手に限るんだ。明らかに苦しい主張だ。
また、上記のページに「このルールは作る側は楽になっても、解く側は確実に負担増になります。」とあるが、これも「攻方最短」を誤りとする根拠にはなり得ない。最短手順探しが解く側の負担になるかどうかなんて、問題によっても解く人によっても違う。解く側の負担になる場合もあるから「攻方最短」のルールは誤りなんてのは暴論である。そんなのが通るなら、打ち歩詰め禁止というルールも、いちいち最後が歩打ちで詰みかどうかを考えないといけないのは負担になるから誤り、というのも通るのだろうか。
やはり、下記の詰将棋のルールを書いてあるページにあるように、攻め方は最短手順で詰めるのが今の所は一般的だと思う。
「詰将棋のルール」(詰将棋専門学校)
今回のことでたくさんのWebページを見たが、変化長手数、変化同手数の余詰を認める主張はあるが、変化短手数の余詰を認める主張は目にしなかった。作意手順より早い詰みがある問題は、作意手順が正解とはなり得ないということだ。
ynomura
問題の解が複数あったら全て正解、というのはわからないことは無い。例えばクロスワードパズルで解が複数あったら、全て正解だと思う。
しかし、共通認識に基づいて解に優劣がつけられる場合は、話が違う。詰将棋で手数が違う解がある場合は、攻方最短というルールにすれば解の優劣をつけることが可能であり、また短手数の詰め手順の方が優れているというのは大多数の感覚と一致していると思う。攻方最短というルールを「誤り」とすることが有意義であるとは思えない。却って混乱を招くだけだ。やはり攻方最短というルールが好ましいと思う。
解答者が長手数の解を選んでも不正解では無いが、その問題の正解は最短手順、でいいではないか。
余詰ありの問題は不完全問題だから正解なんてどうでもいい、ってのではなく、はっきりできるものははっきりしてほしいものだ。