敬天愛人

理路整然と意見を言う人と、主張するために意見を言う人が居る。
意見は主張するものだ、と思う人は、後者の方が格好いいと思うだろうし、もしかすると本人がそういう人なのではないだろうか。しかも、多少屁理屈気味でも主張する内容が正しければいいのだ、と思っているのではないだろうか。ちょっとでも主張にマイナスになることには全く触れず、一方的な観点からしか話さなくても、それでいいと思ってるのではないか。
私は大っ嫌いだ。

私は直感的なアピールが無くても、インパクトが弱くても、理屈の通った意見が好きだ。というか、基本的にそれ以外は参考情報として読み聞きしておくだけで、意見として受け付けない。
意見を聞いて、すぐには理解できず、その結論を疑問に思う。本当だろうか、と、よく考える。色々考えた後、頭の中を整理して、もう1度その意見を思い起こす。その時に「なるほど!」と思う意見を、私は最も信じる。
一瞬で「なるほど!」と思わせる意見は怪しい。瞬間的に人をだますために(重要な情報を省いた)単純な話、印象的なキャッチフレーズを使っている可能性があるからだ。どこかの首相が常用するあれもそうだ。

イラクのサダム・フセイン元大統領について、今まで知らなかった色々なことを知った。日本ではほとんど知られていないことだ。
私が昔、フセインを悪者だと思っていたことを心底後悔した。アメリカが発する印象的なシンプルフレーズに乗せられていた。
この人は、敬天愛人の人、稀に見る平和主義者ではないか。
どう見ても、太平洋戦争前の日本より、アメリカの侮辱と挑発に耐えたのではないか。

遠くから善人を見極めるのは、非常に難しい。善人は自らを善人だと言わないからだ。誰かが「あいつは悪い奴だぞ」と言えば、それしか聞こえない。さらに、誰かが「あいつはいい奴だぞ」と言った人がイメージ作りに入れば、その善人がどこまでの善人かがわからなくなる。偽善的な笑顔を絶やさず、無難な綺麗事しか言わない人間が善人に見えてしまう。

鑑識眼と判別方法が必要だ。
私には人を見る目が無いので、私が信頼するのは他人の理路整然とした理屈だけだ。
そう決めて10年、今の所、裏切られたことは無い。その方式で良いと判断できた少数意見は大体、後に市民権を得ている。

なぜ理路整然とした意見に誤りが少ないのか。多面的に説明してなお、つき通せる嘘というのは稀だからだ。最低1つの別の角度から考えて矛盾が無いことを確認するだけでも、相当の数の嘘を、見破れないまでも信じなくて済む。

フセイン元大統領は、日本人に見直されてしかるべきだと思う。
どこかの「歴史は作るもの」という国とは違って、日本は真実が失われない国だ。この50年徐々に失われつつあるが、一本筋の通った誠実さが脈々と受け継がれている国だ。いずれ、現在はごく少数しか指摘していない矛盾が、全て覆されると信じたい。