奇妙な論理

2005年大晦日に放送された「ビートたけしの恐怖の大予言SP」を観て思ったことを書き留めておく。
毎年大晦日に放送されるこの番組においては、超常現象肯定派と否定派が議論を交わすが、どちらかが降参することは無い。なぜなら、否定派の大槻教授を始めとするまともな科学者は全て科学的に完全に反論することができるし、肯定派は今の科学が完璧でないとして耳を貸さないからである。

視聴者の大半は、否定派の方が正しいことを言っており、肯定派は狂っていると判断すると思う。ここ数年は、司会者のビートたけしも否定派寄りの科学的な発言をしているので、視聴者が肯定派の疑似科学(非科学、科学の振りをした嘘っぱち)に騙されることも無いと信じたい。

今回の放送を見ていて、疑似科学の支持者の典型的な発言がまたあったので、サンプルとして、ここに記録しておく。「国際未知能力研究会代表」の秋山氏の発言である。

秋山氏「一言言わせてもらうけど、炭素14(年代測定法)に問題を投げかけている考古学者もたくさん居るんですよ。(嘲笑しながら)それは、この人達の言ってることがね、学者の代表意見だと思われることは全くおかしいということ。」
大槻教授「その炭素14に学会でケチを付けているというか、疑問に思ってる人は誰?」
秋山氏「その炭素14のサンプルを一体どこからどのように」
大槻教授「だから誰なの、言ってるのは、学会で」
秋山氏「だから、たくさん居ます!」
大槻教授「どこの大学の誰?」
吉村作治氏「・・・を言いなさい」
秋山氏「あなた方に言う必要はないですよ!あなた方は原理主義者なんですから!否定することを前提の元で話を・・・」
大槻教授「だからその学者は誰だと言ってる。これに答えなさいよ!」
秋山氏「だから調べてごらんなさいよと言ってる」
大槻教授「だから知らないから今ここで言って、って言ってるんだよ。俺知らないから、学会で。」
吉村氏「反論した人がそれを示さないといけないですよ」
秋山氏「またその人達も圧力かけられるでしょ?」
大槻教授「かけないよ!かけないから言って」
秋山氏「いいですか、今までの科学的論説っていうのはですね、時の権威者が・・・」
大槻教授「(立ち上がって手帳にペンをスタンバイさせて)いや、だから誰なの!?言ってよ!」
秋山氏「だから科学者は誰がお金出してるんですか。」
吉村氏「ごまかすな!」
大槻教授「ごまかすなよ~。だから炭素14に疑問を投げてる人は誰なの?」
秋山氏「だから調べてごらんなさいって。科学者でしょ?僕は科学者じゃない」
大槻教授「いないよ!」
吉村氏「科学者じゃないのに科学に口を出すな!」
秋山氏「それが科学者の役割だと言ってるんだ」
吉村氏「バカ。口出すな」
秋山氏「ウルトラバカ!口出すなお前こそ!ふざけるな!帰れ!」


愚かもここに極まれり、である。
無知は犯罪だと言われることがあるが、それは場合によりである。科学の世界で犯罪なのは、無知を認めないことだ。
賢明な皆様は何が愚かかわかると思う。
(1)「~と言ってる人はたくさんいる」「誰?」「あなたが調べなさい(知らないあなたが悪い)」
 こんな論法が許されるならその場は嘘でも何でも言えてしまう。もし本当に調べられて居なかったと言われても、調べ方が悪いなどとゴネるのだろう。
(2)立証責任というものを理解していない。証拠が説明できないなら発言してはいけない。証拠を言う必要が無ければ、何でも言えてしまう。
(3)「あなた方は否定することを前提に」聞いてるから答えない、という態度。答えるだけ損だということを理由に答えない。これもそんなことが許されるなら何でも言えてしまう。実際、秋山氏の場合、確実に知らないと思われる(後述)が知らないと言わず、こんなのをもろに都合よく言い訳として使っている。
(4)ある一線以上は踏み込まず、根本的な議論は避けて、間違いを認める必要が無くしていること。
(5)炭素14を使った年代測定法は科学的に理論づけられており、理系だと高校で習う常識中の常識だ。しかも、複数の学問を支えている極めて重要な基礎技術だ。そんなものに(まともな理論で)問題を投げかける学者が現れたら、科学界を驚かせるビッグニュースになるから、理系の学者を含む識者数人が誰も知らないはずが無い。


全く話にならない愚かさであるが、困ったことにこんな発言で騙されてしまう人が世の中には少なからず存在するのだ。学者という権威に敢然と立ち向かってかっこいい、学者は説明できなかった、著名人が実名をさらして発言しているのだから嘘を言うはずが無い、などと思う人がいるのだ。

今回の秋山氏の発言は嘘だと見破るのは簡単だが、疑似科学(トンデモ、「と」などとも言う)を見破るのは、しばしば簡単ではない。同じ分野の学者でも、反証するのに大変苦労したりする。
何せ、最悪の決まり文句は「今の科学で理解できないからあり得ないというのは誤り、結論を急いではいけない」である。同番組に出演した大家、グラハム・ハンコックも、ほぼ同じ意味で「結論を急いではいけない」と発言した。ランダムな理論に既知の理論だけで対抗するのは容易ではない。実験的に得られた物理法則は、100%正しいことが証明された訳ではないことを理由に反論に使えないとする。ニュートン力学がアインシュタインによって完璧でないことが示されたこと、多くの識者の反論に動じなかったガリレオ・ガリレイが正しかったことが後世に示されたことなどを引き合いに出してくると、手がつけられない。いい加減なことも言い放題だ。

しかし、専門家でない我々一般人にとっては、疑似科学に騙されないコツがあるのだ。専門家は疑似科学を反証することが避けて通れないが、我々一般人は、以下のことに注意すればいい。
・使われる論法が何でも言えてしまう論法かどうかを考える
・その説がもし誤りなら科学的に誤りであることを示せるかどうか(反証可能かどうか)を考える

2点目は知らない人にはちょっとややこしいが、知っていると騙されないための強力な武器になる。
興味のある方は、「悪魔の証明」「オッカムの剃刀」「反証可能性」などのキーワードで調べて頂きたい。いずれも対「と」の強力な武器となる、とてもシンプルな概念だ。機会があれば、このweblogでもまた取り上げる。

参考文献:「奇妙な論理」マーティン・ガードナー著

なお、超常現象を肯定する研究家、評論家の全てが疑似科学の支持者ではないことを念の為申し上げておく。超常現象を科学的に研究している人も存在する。


まともな科学者と比較して、疑似科学者、「トンデモ」「と」支持者の傾向として、真実を追求しようとせず、自身の説が否定されることを極端に嫌うことがあると思う。自身の説が正しいことを実証する努力はほとんどせず、自身の説が否定されないように理論武装することに集中している。その結果、彼らの発言は、言うだけは何でも言えてしまう非科学的な論理で固められ、その発言はまともな科学者の論理とははっきりと違いが生じる。

まともな科学者は、真実に興味がある。自身の仮説は真実を見つけるための仮説であり、その仮説が否定されることを嫌がらない。むしろ、自身の仮説はこれまでに判明していることのみから作っているため、それに対する反論にこそ次のステップへの大きなヒントがあると考えているので、反論は欲しがる。仮説に対する反例を挙げられようものなら、大いに感謝する。

大槻教授が「だから、その学者は誰?」としつこく質問したのも、知りたいという欲求がそうさせたものだ。人によっては、本当に秋山氏の言うように、その学者に圧力をかけたり、糾弾するために聞いているように見えたかも知れないが、決してそんなことはない。命を賭けてもいい。科学者の端くれだった私には大槻教授の心境がよくわかる。それが本当なら知らない訳にはいかない、むしろ知りたくてしょうがないのだ。

この番組は、議論以外のVTRが興味深いので毎年観ているが、肯定派の口汚い狂った発言がその場で咎められれば、もっと面白いのにな、と思う。それがなされないのは、それで商売しているような、メディアが気遣うべき擬似科学支持者がこの世に存在するからなのか、疑似科学支持者の気違いっぷりを見たい視聴者がいるからなのか。